RECORD NO.110 · 明治〜昭和の日本
活動弁士
かつどうべんし / Katsudō benshi
◇変質〜1930s日本⑦ メディア・娯楽の交代
要約
映画に音がなかった時代、スクリーンの横に立ち、登場人物の声も語りも一人で演じた話芸の職業。日本の無声映画は、弁士とセットでひとつの作品だった。
しごとの中身
上映がはじまると、弁士はスクリーン脇の演台に立つ。あらすじを語り、男役も女役も声色を使い分け、ときに映画にないセリフまで足して客席をわかせる。楽士の生演奏と組んで、一本の映画を毎回ちがう「ライブ」に変えた。
人気弁士は映画スターなみの有名人で、「あの弁士がやる回」を目当てに映画館を選ぶ客も多かった。おなじフィルムでも、弁士がちがえば別の映画。作品の解釈権の半分は、弁士が握っていた。
道具
演台台本声拍子木
きえたわけ
1927—世界初のトーキー『ジャズ・シンガー』が公開される
1930s—日本の映画館もトーキーに切りかわり、弁士の大量失業と争議が起きる
現在—無声映画の上映会で、現役の弁士が数名活動している
映画が自分でしゃべるようになると、代わりにしゃべる人はいらなくなった。失業した弁士たちは漫談家や紙芝居屋、のちの声優・ナレーターへと散っていった。技術が声を奪い、声の職人は別の舞台に生きのびた。
豆ちしき
全盛期の人気弁士の給料は、映画会社の重役より高かったといわれる。「AIに仕事を奪われたら」の議論で最近この職業がよく引き合いに出されるのは、消えたのではなく声優・ナレーターに転身した前例だからだ。
この仕事の系譜



